tengu geta (one tooth geta)

一本歯下駄の起源
驚くことに、一本歯下駄のルーツは古く中国支那の文献に見られます。新たな謎がでてきました。下駄は日本の独創的はきものではなかったでしょうか?現世に愛想をつかした山水詩人謝霊運が深山を歩く時は必ず足駄をはき、山を登る時は前歯を抜き、山を下る時は後歯を抜いたとあります。これは山の上り下りに便利であったようで、この風習は古くから中国にあったようです。謝霊運の下駄は普通の二枚歯の足駄を前後一枚づつ離して一本歯にしたようですが、日本の本来の一本歯下駄は足駄の裏の中央に一本の溝を掘り、その溝に朴の木を差し込んだものです。
謝霊運(385?〜433) 六朝時代の山水を求めた自然詩人、南史巻十九謝霊運伝より

江戸時代のストリートパフォーマ−たち the Tokugawa period (1603-1867) street performers

高野行人
この絵は寛政十年版「四季交加」にあり、一本歯といっても先端は二股になっており、寛政の末頃まであったらしい。

「只今お笑草」(文化八年)
明和のころより天明のはじめ迄、高野行人なる由にて、浄衣に白股引てつこう、頭は白木綿にて頬冠につつみ、その上に菅笠を着て、笠の上へ小さき手桶に水を入れ、しきみの花をそへて戴き、鐘鼓の大きなのを千日参りの如く堅様にはさみてうちならし、高さ一尺二三寸
(36cm-39cm) ばかりに、照るの延がねにてこしらへたる一本歯の足駄をはき、町々を遊歩するに、心ざす者ありてものとらするに、地に落ちたる一銭をも腰をかがめて無雑作に取り上げ、また立ちあがりて頭なる桶の水をしきみにて両三度手をのべてそそぎ、腰に持そへたる経木へ矢立もて何やらしるし、ねんごろに回向するさま、立居行道、水一滴もこぼさず、誠に錬磨の業にぞありける。

「人倫訓蒙図集」元禄三年版
首といひ、足といひ、少しも油断のならぬ苦しい事であるが、しかかった職業故、止められぬであろう。

昔、このような職業があったようです。投げられたさい銭を頭の上の桶の水をこぼさずに拾い、また、それをおもしろく見物する人もいたのでしょう。私もやってみましたが、30cmの高さの一本歯でも拾えるようです。水をこぼさずにできるかどうか修行しだい。昔から一本歯下駄はこのようにパフォーマス性が高かったのでしょう。

芝翫「芝翫節用百戯通」文化十二年版
俳優芝翫が舞台で、一本歯の下駄をはいて巻紙を布晒し風にさばいている絵。

一本歯下駄は昔から大衆に用いられた記録はありません。お祭のときの前駆、いわゆる猿田彦がはくのを見るとおり、特殊な方面に用いられました。明治時代に理髪店の小僧料理店の板場等に用いられていたという記述があります。板場では下がぬれているため、高下駄が適していたのか、それとも動きが俊敏な一本歯が用いられたのか、わかりません。理髪店、料理店ともに、その腕前は繊細さを求める仕事なわけで、この一本歯下駄が、何らかの技術的向上を買っていたのかもしれません。もちろん、粋な着こなし、ふるまい、にも一役買っていたものと思います。特に板前さんの高下駄姿はかっこいいですね。このように考えますと、スポーツでのバランス感覚を養うというだけでなく、あらゆる職業での修行に使えるかもしれませんね。何事もそうですが、さらなる飛躍を望むなら、さらなる負荷を与えて、それを乗り越えなければなりません。一本歯下駄は不安定そのもの、これを克服してこそ、新たな道が開けてくることを一本歯が教えているようです。

瓢箪と禁厭
文禄から寛永の間の古画をみると小さい瓢箪を火打袋や印篭、巾着の根付に使っていたりしていたようで、これは転ばざる禁厭(まじない)であったようです。江戸の名物にこの瓢箪の絵を一本歯下駄に描いて、転ばずの下駄というのがあったそうです。

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